今日は、サークルのミーティングがあった。
後輩達の主導で、今回の企画は進められているのだが、如何せん「自分がやりたい!」のタイプなので、口出しをしないでただ黙って観る、聴くということが何より困難なのであった。

 黙り、そして周りの進行に自分の波長を合わせて聴く、観るには、その相手に対する全面的な信頼が必要であると感じた。だいたいそわそわして自分が口を挟みたくなる時、いらだっていたり、焦っていたりと自分の内面の議論に花が咲いてしまうのである。

 自分の中では、企画当事者から、次のステップへという位置付けで、「組織・仲間への信頼」「黙る・観る・聴く」ことの二点に今回の主眼を置いている。もうこれは、本来のうちのサークルの企画の目的や、会の活動目的を逸脱している。まったくの自分本位な目標なのである。

 むしろ、早く抜けるべきなのかもしれないとも思うほどである。しかしどうも止められないのは、日々、一活動毎にレベルアップしていく後輩達を観ることの喜びが感じられて仕方が無いからである。

 そうして、ある種の会の活動に対する「執着」という本来避けるべき矛盾をあえて抱えながら、今回は挑んでいる。そう挑戦なのである。

 第一線を退いた者として、何が出来るのか。後輩達に果たして何が残せるのだろうか。

 もはやそういった問い掛け自体、彼らにとっては無用のものであるかもしれない。それは、親切心という響きの良い「おせっかい・偽善行為」なのかもしれない。

 しかし、この活動に関わりを持った以上、自分自身として学べることは全て学びきる覚悟である。常に「自分の行為は偽善か…」「本当にみんなのためになる関わり方とは何なのか、そしてそれは今となっては無力なのか」という問い掛けにあえて直面してみよう。

 それには、会員達とより密にコミュニケーションをとることが重要であり、一参加者である以上、自分の中にあるもの(思考であれ、感情であれ)を素直に表現していくことが自らに課した課題である。

 ボランティアに関わることは、ある種自分の中の「偽善」との格闘、直面である。果たして、人の人生における援助とは、可能なのか、可能ならばどんな関わりなのか。少なくとも形式上、援助する側に立つ自分という人間の中に「やってあげている」という傲慢な気持ちが深い泥沼の底にうごめいてはいないだろうかと、瞬間瞬間に認識し、自覚し、落としていくことが大切だと感じる。

 そして、意思を持って参加すること。
経験や、知識は様々であり、自己主張の得意な人もいれば、じーっと周囲の状況を観察し感じることに長けている人もいる。企画を始めるにあたって集まったその「個性」の集合そのものが、すでに集団であり、ダイナミクスが働いているのである。

 どうか、今回関わる会員のみんなに、そのプロセスにおける学びを沢山感じてもらいたい。一緒に経験していきたいと思う。

 今日は、そんなことをみんなから学んだ。
「黙り、観て、聴く」と、声無き声がかすかにではあるが、聞こえてくる…。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索