未だ届かぬ声。

2001年4月10日
こんばんは。
ふぃりっくすさんお気に入り登録ありがとうございます♪

はー、授業が始まりました。
健康診断も受けてきたし、とりあえず順調な滑り出し。

今日ですね、学校の映像資料室で「映像の世紀ーNHKスペシャル」の第1集を見ました。
1900年から1914年までの映像の記録です。それを見ていて、まぁ映像が生まれた当時の様子や、それに驚き、またその可能性に恐れる人やさまざまな事件を真近で見ることができるようになった・・・というありきたりな部分は置いといて、もっと注目したいこところがありました。

ちょうどロシアの「血の日曜日事件」や「ロシア革命」を扱っている所で、「日露戦争」のことも取り上げられていました。

そこでトルストイが、「思い出せ」という論文で、戦争を批判し、宗教的アナーキズムや、愛の法則の重要性を説いていました。ここは、キリスト教的な信仰が入るので、是非がわかれるでしょうが、大切なことをいっていました。

「我々には、他人に対して責任を持つ必要がある。しかし、また自分の精神に対する責任を持つ必要もあるのだ」という感じの事を言っていました。
じーん・・・、そうだよなぁ。自分の精神、つまり何を考え、何を信じ、なにをするのかといったことを決めるのは自分自身。そのもっともの原動力って自分の精神なんですよね。

「自分の行動には責任をもて」とよく言われますが、精神まで責任をもてとはあまりいいませんよね。とても意味深いことだと感じました。

うちのゼミでも内面性の豊かさがよく出てきます。
しかし、まだまだ「内面の豊かさ」を理解できていないのではないかと思います。

トルストイの言った「愛の法則」、彼がガンジーの無抵抗主義をその法則の現われとして賛美したこと。これは、宗教を信じる、信じない、民族の違いを超えて、少し自分に問い掛けてみてもいいことではないでしょうか。

「悪に対して抵抗するな」、これはトルストイが自らに与えた戒めの一つのようです。これを自分は果たして理解し、実践できるのだろうか?悪を受け入れる(許す)事ができるのかなぁと思うと、ちょっと抵抗してしまう自分もいますね。

そして、「未だ届かぬ声」とは、平和を希求しながら、平和の為にと争いを続ける私たちが未だに聴こうとしていない声のこと。誰の声でもない。ただ、人間が恐らくみんな持っているであろう「平和でいたい」というシンプルな願い、その声です。


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